文人が好んだ宿

宇野浩二
宇野浩二は、大正8年9月、原稿執筆のために広津和郎・谷崎精二とともに下諏訪の「かめや」に滞在、芸者鮎子(作品では「ゆめ子」)こと原とみを知った。その芸者ゆめ子に惚れ込み、「ゆめ子もの」といわれる「人心」「甘き世の話」「夏の夜の夢」「一踊り」「心中」「山恋ひ」などの作品を発表し始める。芸者ゆめ子--鮎子は浩二にとって、まったく夢の女性であったようだ。また、宇野は大正10年には直木三十五とともに下諏訪に旅行し鮎子に再会している。

芥川龍之介の自筆の手紙
大正九年の冬、数人の文士が直木三十五に声を掛けられて関西へ講演旅行に出かけている。
その仕事が終わってから、芥川は同行した友人の宇野浩二に、宇野が小説のモデルにした芸者に会ってみたいと言い出し、二人連れ立ってゆめ子こと、鮎子に会いに下諏訪まで足を延ばした。鮎子の本名は、原とみと言い、下諏訪の芸者で、彼女に親しんだ宇野は「ゆめ子もの」と呼ばれる幾つかの小説を発表している。彼女はその後、源氏名を、小説の主人公ゆめ子と宇野浩二の名前から一文字ずつもらい、夢二と変えて名乗ったそうだ。
この芥川とゆめ子の短い出会いには後日談があり、芥川はゆめ子に「宇野には内緒ですが、どうも惚れてしまいました」などと言う、甘ったるい恋文を送っている。
ゆめ子は、その手紙を宇野に見せ、宇野は、ハハァと色々思い当たり、改めて嫌な思いをするのだった。この恋文が本気のものでない事を、芥川と付き合いの長い宇野は良く解っている。
水上勉『宇野浩二伝』上下(1979年 中央公論社 中公文庫)

島崎藤村の好んだ『富士の間』
藤村は明治31年より来諏訪している。随筆『寝言』のなかで下諏訪亀屋に泊まり宿屋の2階にあった象山全集を読んだことを述べている。その後大正から昭和初期にかけて信濃路を訪れる定宿は、亀屋と布半に定まっていた。亀屋においては、桃山時代に築庭された林泉式庭園を眺む『富士の間』に好んで宿泊し、執筆活動に勤しんだと言われる。
昭和2年5月、藤村が亀屋ホテルに宛てた礼状が現在も残る。
(島崎藤村と諏訪 伊東一夫氏 ほか)