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展示室

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中山道下諏訪宿時代より当館が所有してきた貴重な資料などご覧いただけます。
隣接する本陣岩波家にも多くの資料が残されております (本陣岩波家:見学料300円)

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ゆかりの著名人

年月日 西暦 立ち寄り及びご宿泊された方(本陣岩波家も含む)
明暦三年四月 1657/4月 淺宮顕子(あきこ) 伏見宮兵部卿貞清親王の女 七代将軍家継の御台所 泊
寛文四年九月七日 1664/09/07 藤 信子 関白鷹司教平卿の女 五代将軍綱吉の御台所 泊
不明 不明 熙子(ひろこ) 関白近衛元熙卿の女 六代将軍家宣の御台所 泊
宝永三年三月二十日 1706/3/20 真宮理子 伏見宮兵部卿貞致親王の女 八代将軍吉宗の御台所 御昼
享保十六年八月 1731/8月 比(なみ)の宮 伏見宮一品中務卿邦永親王の女 九代将軍家重の御台所 泊
寛延二年三月十二日 1749/3/12 五十(いそ)の宮 閑院宮一品彈正直仁親王の女 十代将軍家治の御台所 泊
文化元年五月十三日 1804/5/13 楽(さゞ)の宮 有栖川宮の女 十一代将軍家斉の御台所 泊
文化六年九月二十五日・
文化八年四月十九日
1809/9/25
1811/4/19
伊能忠敬 六十八才の時二回に渡って三河国より伊那を測量、下諏訪宿本陣を利用し、甲州街道を測量、江戸に帰る
天保二年三月二十八日 1832/3/28 登美の宮 有栖川宮の女 水戸斉昭妻 御昼
天保二年九月六日 1832/9/6 有の宮 鷹司政熙の女 十二代将軍家慶の御台所 泊
正保三年より毎年 1847年~ 日光例幣使 徳川家康の命日に朝廷より日光東照宮に奉幣の使者を毎年つかわした。此の時各宿本陣に宿し色々と悪さをしたと言われる
嘉永二年九月二十五日 1849/9/25 寿明(すめ)の宮 一条忠良の女 十三代将軍家定の御台所 泊
文久元年十一月五日 1861/11/5 和の宮内親王 仁孝天皇の皇女 十四代将軍家茂の御台所 泊
元治元年十一月二十日 1864/11/20 水戸浪士 武田耕雲斉を頭に約千人で勤王党を結成各所で戦い下諏訪宿本陣に本部を置く
慶應四年二月七日 1868/2/7 相楽總三 官軍先鋒嚮導赤報隊として下諏訪宿本陣に入り三月三日岩倉総督にとらわれ打首
慶應四年二月七日 1868/2/7 綾小路卿 滋野井卿 中山道官軍総督となり下諏訪宿本陣に入りしが朝廷命令に依り進軍中止京都に帰る
慶應四年二月二十八日 1868/2/28 新総督岩倉具定 参謀後藤象二郎、板垣退助は相楽を始末、甲府に進む
明治十三年 1880年 明治天皇 山梨・三重・京都・御巡幸の折下諏訪旧本陣の武家茶室の間に御小休なされた

附記

東海道の駿河国薩埵峠(さったとうげ)に縁切坂と云ふ坂があるので縁起をかつぎ中山道を通る事が例になった。
何と云っても下諏訪宿始まって以来の大行列は和宮御降嫁の折の行列である。御通輿は十一月五日夕刻七ツ時(五時)着、下諏訪宿本陣岩波太左ェ門方に御泊り、翌六日六ツ半(午前七時)御出発なされた。行列の中には中山大納言菊亭中納言千種少将岩倉具視少将の四人と殿上人八人他幕府の御迎人、宮付の役人四百人、下方人足京都方壱万人、江戸側人足壱萬五千人通し雲助四千人計三萬人であった。壱名の人夫賃は籾4合であった。

皇女和宮御降嫁全行程

諸文豪の逸話

宇野浩二

宇野浩二は、大正8年9月、原稿執筆のために広津和郎・谷崎精二とともに下諏訪の「かめや」に滞在、芸者鮎子(作品では「ゆめ子」)こと原とみを知った。その芸者ゆめ子に惚れ込み、「ゆめ子もの」といわれる「人心」「甘き世の話」「夏の夜の夢」「一踊り」「心中」「山恋ひ」などの作品を発表し始める。芸者ゆめ子――鮎子は浩二にとって、まったく夢の女性であったようだ。 また、宇野は大正9年には芥川と、10年には直木三十五とともに下諏訪に旅行し、鮎子に再会している。

芥川龍之介の自筆の手紙

大正九年の冬、数人の文士が直木三十五に声を掛けられて関西へ講演旅行に出かけている。
その仕事が終わってから、芥川は同行した友人の宇野浩二に、宇野が小説のモデルにした芸者に会ってみたいと言い出し、二人連れ立ってゆめ子こと、鮎子に会いに下諏訪まで足を延ばした。
鮎子の本名は、原とみと言い、下諏訪の芸者で、彼女に親しんだ宇野は「ゆめ子もの」と呼ばれるいくつかの小説を発表している。
彼女はその後、源氏名を、小説の主人公ゆめ子と宇野浩二のの名前から一文字ずつもらい、夢二と変えて名乗ったそうだ。
この芥川とゆめ子の短い出会いには後日談があり、芥川はゆめ子に「宇野には内緒ですが、どうも惚れてしまいました」などと言う、甘ったるい恋文を送っている。 ゆめ子は、その手紙を宇野に見せ、宇野は、ハハァと色々思い当たり、改めて嫌な思いをするのだった。
この恋文が本気のものでない事を、芥川と付き合いの長い宇野はよく解っている。
水上勉『宇野浩二伝』上下(1979年中央公論社 中公文庫)

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